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シン・エヴァンゲリオン劇場版を見た

2021年3月8日、シン・エヴァンゲリオン劇場版の公開最速上映を見た。あとその日の夕方にもう1回見た。

www.evangelion.co.jp

のでその話をする。映画の内容に触れる内容を書くので、ネタバレを踏みたくない人は引き返してください。

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念のためもうちょっと画像を貼ってスクロールを稼いでおきます。

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初号機腕型ドリンクホルダーは全人類買ったよね?

そろそろいいかな。はじめます。

なによりまず、完結しておめでとうございます、お疲れ様でしたという気持ち。序から数えて13年半、直前作のQから数えても8年少々。「ここからどーなっちゃうの」のQからどう収拾をつけるんだという状況の中、そして新型コロナウイルス感染症に伴い2回も上映延期する中、2時間半の長尺でQの続きを描いて物語を完結させたことに、まずは賛辞と感謝を送りたい気持ちでいる。作り手の側からしたら何様やねんと思われそうだけれど。話の良し悪しとかについて論じるのはその後。

まあ次には現実的な話として、2時間半のボリュームはやっぱりすごかった。見ている最中に長くて辛いと思った訳ではないけれど、ひとつひとつのパートも情報量過多なのにそれがどんどん展開していくので、見終わってから何があったか思い出すのに苦労してしまったし、この大ボリュームを咀嚼して受け止めるのに時間(と視聴回数)を要してしまった。

中身の話をそろそろすると、全体としてはやっぱり完結してよかったという気持ちに集約されてしまう気はする。話の筋をめちゃめちゃ乱暴に要約すると弱っていたシンジくんが立ち直って父親と決着をつける話で、Qのあと決着をつけるにはこれをやるしかないと思うのだけど、それをちゃんとやりきったというのがえらいと思っている。中盤以降の絵/演出の突飛さ(ある意味エヴァらしいとも言えるが…)とか、ゲンドウの自分語りはもうちょっと短くてもよくない?とか、マリはその感じで最後にそのポジションなんだ…とか、各論はまあいろいろあるのだけど、これだけのハイカロリーで完結させられた目の前だと、なんだかどれも全部些事のような気持ちになってきている。あと別レイの生き様はすごかった(本当はこの話だけで長々と書きたいやつ)。
ただ、ミサトからシンジに向ける感情に関しては今作だけで見ると妥当だと思うけれど、それだけにQのときの冷酷なところが(劇中でフォローはされつつも)違和感として浮いてしまうのは否めないとは思っている。破のときの「行きなさいシンジ君!」を散々擦られてきたからね……

(本当はここに各論が出てくる予定だったけどAパートを途中まで書いた時点で無限に長くなるやつだと気付いてしまったので諦めた)

こういう感じでブログをだらだらと書きながらあらためて振り返っていたのだけれど、あらためて受け止めて咀嚼すればするほど、ここでエヴァが(三度目の)「終劇」したということが心の中でじわじわと重みを増してくるのを感じている。ぼくがエヴァと初めて出会ったとき(2003年くらい?)は漫画版が進行中だったし、その数年後からは新劇場版が始まっていて、僕の中ではエヴァはのっそりと不定期ではあるけど進行中の「生きている」作品だったのだけど、漫画版も数年前に完結したし、今度は新劇場版も終わってしまった。勿論タイアップとか謎ゲームとかの展開はこの先もあるのだろうけど、作品としては「終わって」しまったのだと思うと寂寥感があるし、そのことを確認するとちょっとした放心状態になるような気持ちもある。

一方でSF的な要素などは今作も平気で謎を振りまいて投げっぱなしのまま去って行ったのは相変わらずだなあという気持ちになる。この後出るであろう設定資料とか全記録全集でどこまでフォローされるから勝負で、そのタイミングを逃すと投げっぱなしのまま謎として漂流していくのだろう。そういうことを考えると、作り手にとってのエヴァは無事完結したけれど、受け手にとってのエヴァというのはまだ終わらないんだろうなとも思ったりする。俺たちの戦いはこれからだ!

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終劇